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ちょっぴりハッピーな出来事やお仕事のことなど、日々を綴った社長ブログ

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母指CM関節症の手術を受けて

      2025/07/27

【備忘録として記しておきます ^^】

いつからだったかな、、、もう5〜6年になるでしょうか。
親指の付け根が痛くなって、ペットボトルの蓋が開けられなくなったのは。

整形外科を受診すると、診断は「母指CM関節症」。

母指CM関節症とは、親指の付け根と手首の間にある「CM関節」で起こる変形性関節症のこと。痛みから始まり、進行すると腫れや変形、亜脱臼も見られるようになります。

最初は、専用のサポーターをつけたり、痛み止めを飲んだり、リハビリや鍼治療を受けたりと、保存療法で様子を見ていました。

でも、なかなか改善の兆しが見えず、、、。
そんな時、元看護師の友人から「手外科って知ってる?」と教えてもらいました。

初めて聞いた「手外科」。調べてみると、なんと市内、しかも自宅からわりと近い場所にあるじゃないの。建物も見たことがある!

さっそく受診。
症状を伝え、レントゲンを撮って診断はやはり「母指CM関節症」。
「加齢や使いすぎが原因で、女性に多いんですよ」と先生。
「一番いいのは使わないことだけど、それは無理だよね」とも。

実際、親指って、日常動作の半分に関わっているそうです。

私の場合、コロナ前まではバルーンアートが本業。現場では、数百〜数千個の風船を結ぶ作業が続き、握力がなくなることも。

その後クラフトチョコレートの製造をするようになってから、当初はカカオは手むき。

現在も、ピンセットで食べられない胚芽や皮を取り除く「ハンドピッキング」をしています。これがまた手にきつい。
ローストしたてのカカオのいい香りの中でする作業なので、好きなんだけど、いつもあいたたたってなります。

別にこの作業が悪いわけではなく、私以上にされてる方もたくさんいらっしゃいます。

ただ、私の手には少し負担が大きかったようで、、、。

自分の手、弱っちかったのね〜。
これでもずっとピアノも弾いていたんだけど。

その後は、できるだけサポーターをつけ、痛い時はロキソニンを服用。
痛み止めの注射も受けていましたが、あまり頻繁には打てないとのことで、3ヶ月ごとに。

この注射が、、、本当に痛い。悶絶レベル。
先生は毎回「よくなりますように」と、おまじないのように声をかけてくれました。

痛み止めが効かなくなると日常のちょっとした動作も、痛みでできなくなっていきました。
「先生、卵焼きがお箸で切れなくなりました!」
「うどん、食べられなくなりました!」

「そっかー」と先生はいつも丁寧に話を聞いてくださり、「どうしたいか」も尋ねてくださいます。
「年齢的には手術は少し早いけど、痛み止めは対症療法でしかないからね」とも。

こうして3ヶ月ごとに注射とロキソニンの服用を続けながら、今年の怒涛のバレンタインが終わり、休む間もなくホワイトデーに突入。それはチョコのシーズン待っただ中なので、とにかく製造が間に合わなければ自分で作るしかない現状。

痛いなんていってられないのは、弊社の事情によります。

コロナ禍でチョコレート事業に業態転換し、10年計画で店舗兼工房兼カフェを開店。しかし2年半で、撤去を強いられ、今の小さな工房に移りました。前店舗の返済も、今なお続いています。

正直、もう身体が限界。
今年のシーズンを乗り切ることはできたけれど、「次はもう無理かも」と感じていました。

そんな折、3月末の京都の催事に行く直前、先生からひと言。

「そろそろ手術、考えてみる?」

私も思っていたんです。
・ステロイドを入れ続けるのに抵抗がある
・ロキソニンも常用している
・手術するなら、夏のオフシーズンがベスト

タイミング的にも今しかない。
そう思い、手術することを決意しました。

主治医の先生は3月末で分院に異動されるとのこと。その後は理事長が担当に。
「手の専門家」と伺っていたので、手術も安心してお願いできました。

6月24日、痛みが限界に達し、再び受診。

新しい先生はベテランの風格。
前の主治医から話も引き継がれていて、スムーズに診察が進みました。

私の決意を伝えると、レントゲンを見ながら
「これは痛いね。ステージⅢだね」と。

手術内容は「関節形成術」。まずは右手のみ。
「両手いっぺんにやると何もできないからね〜」と先生。あ、そりゃそうだ。

内容はというと――
母指CM関節の下にある骨をとっぱらって、親指側と人差し指側の骨にトンネルを開けて、手首の腱(2本のうち、1本は必要ないんだとか)をシューっと取って、それで骨と骨をつなぐ。
その骨と腱がくっつくまで5週間は固定。だから動かないようにワイヤー2本で固定。皮膚からワイヤーの頭が出てるから、くっついたらシュッて抜くから。そこに水が入ったらいけんからね。

それから、手のひら側にある神経はとっても大切だけど、手の甲には、こんなふうに細かい神経がいーっぱいあって(図を書いて説明してくださいました)、これはどうしても切れてしまう。それで痺れや痛みが出る人もいるというリスクの説明も受けました。

手術日は7月11日に決定。前日入院。

さて、入院するまで15日間あります。
術後最低5週間製造はできない。その後もはたして手を使えるかわかんないぞと思うと、あれ、えらいこっちゃじゃないか!

昨年のデータを見て、まずは退院後から8月末までの売り上げ予想を立てます。
それで今の在庫状況から、入院までに作っておくべき商品と数を考え、毎日せっせせっせとまるでバレンタインさながらチョコレートの製造と仕掛品作りに励みました。

カカオ豆を選別して、ロースト

 

細かくしたカカオ豆をマシンに入れてチョコのブロックを作ります

 

アマンドショコラを作りパッケージング

7月10日、入院当日。

個室希望だったけど空きがなく、大部屋に。夜9時消灯に愕然としつつ、、、
スーツケースに、とりあえず1週間分の着替えや本なんかを詰め込み、朝夫に「ほいじゃ行ってくるね」と言って、いざ出発。

電車で2駅。そこから徒歩10分。

受付で入院だと告げ、指定された待合へ。

すると隣に座られた女性に話しかけられました。その女性の右手には包帯。

女性「どこが悪いんですか?」
私「ここ、親指の付け根なんです」
女性「あら、私と同じ。でもぜんぜん悪いように見えないわね」
私「変形はそこまでなんですが、痛みがひどくて」

なんでも少し前に同じ母指CM関節症の手術を受けたそう。
もともとその方は痛みはなくて、変形が進んで生活に支障が出てきたので、それで手術したんだそうです。
そして、「先生、手の神様って呼ばれてるのよ」と。
なんと、だから予約とれないのね。

私「どのくらい入院しましたか?」
女性「私は2週間」

えっ、2週間は想定してなかったなーと思いつつ、このスーツケース久しぶりに使うなー。よくみると汚れてるなーなんて思っていると名前を呼ばれました。

入院、手術に関しての書類を渡し、看護師さんにいろいろと説明を受け、病室へ。

4人部屋の病室に案内され、同室の方にご挨拶して、荷解き。
特にやることないので、PC出してお仕事。あちゃ、wi-fiは談話室の自販機についているだけ。談話室では繋がるけど、一番端の病室は繋がったと思ったら途切れるし。まるで新幹線みたいな ^^;

大部屋は、同室の人とワイワイ話をするイメージあったけど、どうやら病室での会話はNGらしい。手術の付き添いもできないんでね。
なので、常にカーテンで仕切っていて、まぁまぁ個室感ありました。
しかし、夜となると、、、いびきやら、お菓子を食べる音とか、いろいろと気になってしまうのでした。こればっかりはしょうがないね。

手術当日、7月11日朝になりました。手術は15:30からの予定。
先日夜8時から食事、固形物はNG。それ以降は水、お茶はOK。糖分のあるものはいけないんだとか、当日12時から飲み物もNG。

唯一、朝のブラックコーヒーはOKもらったので、ドリップで丁寧に一杯。

用意された寝衣に着替えて、自前の着圧靴下を履いて、そして点滴が始まり
そして看護師さんが来られ「呼ばれたので行きましょう」。

ちょっとドキドキ。

手術はおよそ1時間半と言われてました。

手術室の準備室に入って、名前と手術の箇所の確認。
手術着(不織布)に着替え、下着をとり、マスクをしたまま手術室へ。

そして案内されて手術台への階段を2、3段?のぼり手術台に横になりました。

今から酸素マスクしますね、と付けられたまでは覚えているけど、それからの記憶はありません。

「得居さん、得居さん、終わりましたよ」と呼ばれ目を開けました。

目覚めた時には、手術終わってますからと言われた通り、終わったんだな〜、よかったちゃんと目が覚めたな〜と思ったら

「1、2、3」と掛け声かけられて、ベッドに移されたのも覚えていますが、またうとうと。

病室の同じ位置に戻って、大丈夫ですか?とか声をかけられたら
そのあと、震えがくるほど寒くなってきました。ナースコールしようか、うとうと、ブルブルそれを繰り返していたら、看護師さんが来られて、検温と酸素濃度と血圧測定。

寒いことを言うと、あらかじめ電気毛布をかけてくださってて、スイッチ入れてもらったらあったかくなって、ほっ。

しかしその後しばらくしたら、今度は汗をかくくらいになって。スイッチは切ったのに暑い暑い。
どうも術後はやっかいだなと。

患部はまだ痛み止めが効いているので、まったく痛みは感じないけど、実は一番懸念していた寝ていることによる背中と腰の痛み、これが酷い。。。そして手術中気管内にチューブが入っていたので、のどがちょっと痛いのと、尿道カテーテルも気持ち悪い。

看護師さんがこられる度、背中と腰の痛みを訴えたけど、痛み止めの薬はあまり効かないそうで、湿布を貼ってもらいました。

その日は、背中と腰の痛みと頭痛に耐えながら、点滴が終わったら少し横向きになったりして、気を紛らわせながら朝を迎えました。
背中と腰をさすってくれた若い看護師さん、ありがとうございました。

上の写真は手術後部屋に戻ってきて、胸にのっかってる右手、重い〜、感覚まったくなし〜、左手で掴んでよいしょと移動させた状態を撮ったもの。

こちらは手術の翌日。

術後翌日、7月12日。

翌日もまだ右手の感覚はありません。
朝尿道カテーテルをとってもらうと、それはそれは楽になり、お着替え。看護師さんが手伝ってくださったけど、着替える時右手がぼんって落ちちゃって、看護師さんと苦笑い。

前日丸一日何も食べていなかったので、朝食は左手でなんとかいただきました。早速利き手である右手が使えない不自由を味わいます。

手以外は元気なので、背中と腰が悪くならないように、できるだけ起きていることにしました。

術後3日目、7月14日。
手がゾウさんみたいにパンパンに腫れて、内出血でどす黒くなってます。
まだ痛みもあり、指も曲げられません。ペンも持てない。

できれば14日月曜日に退院できればいいな、って思っていたけど、まだこんな調子なのでちょっと不安もあり。
先生と話し、17日に退院したいことをお話しました。

術後4日目、7月15日、リハビリ開始。
指の拘縮を防ぐため、包帯からでてる指をぐりぐりと。これが痛い。。。

術後5日目、7月16日、許可が出て、術後初めてのシャワー。
ギプスの手をまるっと覆える、手専用のシャワーカバーをつけてもらって(Amazonで売ってるよと教えてもらった)左手だけで全身スッキリ。

最後の晩御飯。

食事は薄味ではあるけど、いつも美味しくいただきました。
退院前日の晩御飯は、鮭のホイル焼き。めちゃ美味しかったです。

談話室にいると、入院患者さんがご家族に電話で話されるのが聞こえます。皆さん、食事が美味しいとおっしゃっていました。

術後6日目、7月17日、退院の朝になりました。
食事を終え、検温などいつものルーティンを終え、リハビリの予約まで少し時間があったので、荷造り。

前日夕方に今回の入院手術の請求書をいただいていたので、それを持って支払いDONE。

リハビリ室から戻り、同室の方にご挨拶し、看護師さんたちにもお礼を伝え、スーツケースを持ってタクシーで自宅へと帰ってきました。

早速午後から出社。
実は大切な取引先からの発注が入っていたので、スタッフさんとちゃっちゃか準備して発送しました。

普段はせっかくなので、アフリカ布を三角巾にして通勤しています。いろんな布で、洋服とコーディネートをしてさりげなく自分らしさを。

手はまだ痺れと痛みが残っており、鎮痛剤は継続中。
包帯から出ている指は積極的に動かすよう指導を受けていて、握る動作やストレッチを地道に続けています。

 

にしても、左手だけの生活は結構大変。

髪洗ってると、手がつりそう ^^;
シャワーの後、体を拭くのも一苦労。背中や左腕は特に。

運転は私の車はウインカーも全て左手で操作するようになってるので、退院後1週間したら乗るようになりました。右手はハンドルに添えるだけ。しかし駐車場にとめるのとか、なかなか左手での運転、負担かかってる。

洗い物も、会社では紙コップを使ったりして洗い物をできるだけでないようにするけど、それでも接客で使うトングなど、どうしても何かしら洗い物は出ます。

なかなか大変 ^^;

 

当分、週一でリハビリと消毒に通います。

次、ギプスが取れたら、続きを書きたいと思います ^^

 

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島根県生まれ、福岡県北九州市在住。1992年からPOP広告の企画制作指導を行ううちに、アイキャッチ率の非常に高い風船に注目。2000年にバルーンアートをメイン事業としたバルーンポップを創業。好きな物:スタートレック、カプチーノ、城戸ワイン、文旦、感性刺激ツアー。2020年11月、クラフトチョコレートのお店チョコロンブス開業。バルーンアートが得意なチョコレート職人 ^^

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