夫、癌になる
2024/08/10
6月の終わり、いつものように夜遅く帰って夫の作ってくれた夜ご飯を食べていると、夫がぼそっと。
「今日産医大の日(産業医科大学病院での定期検診の日)で、いつものように問題ないですねって言われると思ったら、癌があると言われた」と。
一瞬頭が真っ白になった。
「12日に検査入院することになったけど、間違いないらしい。3つくらい治療法があるけど手術で取るのが一番いいっぽい。だからそうしようと思ってる」
「でも半年前の検診では何も言われんかったんだから、まだ初期なんだろうからとっちゃったら大丈夫なんじゃない?」
「まぁ、そうやなー」
その頃は毎晩のように、夜ご飯食べ終わったらPCを広げ、タンザニアまでの航空券をどのルートで取るかなんてことをやっていた。
夏に私はタンザニア、夫はクロアチアへの渡航が決まっていた。
夫は毎年のようにヨーロッパとか行っているので、タンザニアの日程が決まってダルエスサラームに現地集合・解散だってと言うと、すぐにskyscannerのサイト開いて 「これやなー」 「面白いのはタイ、インドトランジットやろ」とか言い出してた。
帰りは仁川から福岡に帰ってくるのが一番いいと決めて、今日こそエチオピア航空のサイトから予約しようと思っていた矢先だった。
ふいをつかれた。思ってもなかった。こういうの突然にやってくるもんだ。
一瞬若くして亡くなった知り合いの顔が浮かんだ。
またしてもリスクカードを引いたのか。
私の目にはそんな落ち込んでいるようにも見えないし、もともと結婚した翌年にB型肝炎を発病し、入退院を繰り返し、それからは様子見のため定期的な検診になっていた。
そして今回の検診で肝臓に癌が見つかった。
こうなるリスクは肝炎を発症した時から当然あったのだ。
しかしスポーツ学部教授として、さらにNPO法人のスポーツクラブで運動を教えている立場。体はいわゆるスリムマッチョ。マラソンはサブ3.5。しっかりと鍛えていて、食事も私以上に食材から気を使っていた。
「がん保険、入っときゃよかった」
入ってないんか〜い。
それほど健康には自信があったんだろう。
なったもんは仕方ない。
気の利いた言葉も見当たらないし、私は努めて普通に普段通りを心がけることにした。
産医大(産業医科大学病院)は、すぐ近くの大学病院。
家族全員お世話になっている。しかも夫も息子も私の母もここで入院手術している。
何度も通った。
知り合いも多く勤めている。なんなら、コロナ前まで数年間、バルーンの仕事も毎年受けていた。
夫も外科のドクターがお友達で、その方は体の上半身の消化器が専門で、高度な手術ができる方なのだとか。夫の主治医は別の先生ということで、話を通しておいてくれるらしい。こういうの、ありがたい。
息子は生後1ヶ月でお腹の手術をしたんだけど、その時の縫合が、担当のドクター裁縫が苦手なのか、赤ちゃんのお腹の皮が伸びやすいのか、切った端のとこ皮がつってて。大きくなったら目立たないですからと言われたけど、私の知る限り、ずっとそのままだったし。
要は人間の手で手術するんだから、そのドクターの技術に頼るしかない。
あー、お義父さん、カテーテル中に亡くなったんだった。。。
7月12日検査入院
7月19日検査
7月30日検査
そして8月2日、私も一緒に手術の説明を聞いた。
11時からの予定が、検査もあったりして、待って待って待って待って、やっと13時半をまわっていたような。
外科の待合室についたら、友人に出会って。
「あら、Hさん、どしたの?」「実は大腸癌で今月手術なんよ」
「うちは夫」
そんな会話を交わした。
今は日本人の2人に1人は癌になる。3人に2人とも言われてる。
名前を呼ばれて、診察室へ。
担当のドクターにご挨拶。明るく、いい感じの先生。
話の感じもはきはきとわかりやすく、時に面白い。なんとか先生(夫の知り合い)から聞いてますって。そして内科の先生からの引き継ぎもしっかりとされている様子。
夫は肝臓癌。肝細胞癌。
原因は昔のB型肝炎、これは明らか。
検査の結果からイラストを書かれたり画像を見たり、丁寧にわかりやすく説明してくださる。
何のための検査でそれで何がわかるか。夫の場合肝臓に癌が1つ。2.5cmくらいなのでステージ2になる。
結果として手術が1番いい治療だということも納得。他の検査数値は先生よりもむしろいいと。あとは実際に肝臓の様子を見て、ということになる、とも。
腹腔鏡手術だけど、どうやら肝臓でこれやってる病院って市内に3か所しかないらしい。先生すごい。ラッキーなのか。
次から次へと説明を受けながら、さらっと言われた。
ステージ2の5年後の生存率40%
それは夫から自分はステージ2なんだということを聞いて、ググって、見てしまっていた。40%という数字を。正直それを見た時から、胸のざわざわがおさまらない。
当然本人も知ってること。
あくまで確率だから、夫は大丈夫なはず。
本人が横にいるから、それどういうこと?なんて聞けなかった。
一通り説明を聞いたあと、同意書にサイン。
先生「産医大はご飯がまずいから、まぁローソンはあるけど。入院まで美味しいもの食べてきてくださいね」って。
よろしくお願いしますと行って診察室をでた。2時間くらいたっていた。お腹すいた。
当初8月下旬に手術ということだったのが、ちょうど空きがあったので、7日入院8日手術になったのだ。もんもんとして毎日を送るよりも、早い方がいい。
検査がまだある夫と別れて、私は仕事に向かった。
昨年、私もまた不正出血があったから病院に行って、生検になった。母が子宮体癌、父も胆管癌で亡くなった。祖父も祖母も癌。そう、私こそ癌家系。
だから昨年、生検の結果がでるまで99%癌になったと思っていた。その癌になるリスク、全部の項目が当てはまっていたから。
検査結果がでるまで、ほんとに先のことが考えられなかった。
工房移転したばかりだし、
リッツさんとの取引が決まったばかりだし
どう身支度しようかほんと考えた。
結果はシロ。単なるストレスが原因だろうということに。
夫は今58歳。来月59歳。いや、まだぜんぜん若い。
前々から夫も会社設立のためにいろいろと動いていた。そろそろ登記するっぽかった。
そして野菜作ろうかな、なんてことも話していた。
癌に関する本も数冊買って読んだようで、写真の1冊だけテーブルの上においたまま。夫がよくyoutubeで見ていた先生の本もあった。
「別に生活変えることもないなー、やってることばっかりだし。あとは予後どう過ごすかだなー」と言っていた。
先生に言われてたし、今のうち美味しいもん食べに行こうということで、お友達のレストランで食事もした。
そして8月7日(木)。
9時半〜10時に入院となっていたので、私の運転する車で家を9時過ぎにでて、まずは学校(研究室)に行き、そして郵便局に寄り、ちょうど9時半に産医大の玄関で夫を降ろした。
「じゃ、がんばってね〜」
コロナ感染防止で、付き添いも面会もできない。次に会うのは退院時。
夜ご飯の写真がLINEで送られてきた。
「ちょっと少なめやなぁ、、早速ローソンにお世話になった。」
明日は8時半ごろから準備ということだった。
そして8日朝、
「行ってらっしゃい」のLINEをした。
「ボチボチ準備の時間。行って来るよ〜!」とLINEがきた。
外科の先生から、手術が始まる前に「今から始めます」、そして終わったら「終わりました」と奥様に電話するので、電話出られるようにしておいてくださいって言われてた。
いつもならマナーモードで、電話かかったことも気づかない。なので、マナーモード解除して、常に持ち歩いていた。
朝のシャワーも、タオルに包んでお風呂場にスマホを持ち込んだ。さすがにまだか。
いつもと変わらず、出勤。8時半すぎに職場へ。まだかな〜。
思考はさすがに上手く働かないので、作業に集中しよう。
ひたすら、カカオのハンドピッキング。
10時、スタッフさんが出勤してきたので、今日は夫の手術なんで電話かかってくるんでね、と説明。
しかしかかってこないなー。
麻酔していざ今からって時にかかってくるのかなー。
お昼、まだかかってこない。何かあったのかなー。だったらだったで連絡ありそう。
14時、さすがにねー。6時間くらいかかるって言われてたから、この時間からってことないから、先生、忘れてるな。
そしてついに電話が鳴った。15時50分。
「あ、奥さん、無事に手術終わりました」
肝臓の状態を見たけど、想像よりも状態はよくて肝硬変も進んでいない。むしろこの状態で癌ができたのが不思議なくらい。出血も50c、輸血はしていません。
そんな説明を受けた、と思う。そう言われることはイメージできていたから。
そして、いざ聞いてみた。
「手術の説明の時に、本人が横にいるので聞けなかったのですが、生存率40%というのは低い数字だなと思いまして」
先生曰く、やはり肝臓癌というのが難しい癌であること。再発で亡くなられる方が多い。先生の感覚では45〜50%という感じ。
だから今後はこれまでの半年に1回ではなく、まずは2、3ヶ月に1度検査をして、しっかりとみていきましょう、と。
とにかく肝臓の状態はいいということ、これが何より。
夫におつかれちゃ〜んのLINEを送っておいた。
そして今日、
「昼から歩く訓練とか。動けるんかな??」とLINE。
今の時代、LINEという便利なもんがあってよき。
「トボトボ歩いた。20mくらいかな」
うん、よさげ。
すぐに歩くのは説明されてた。エコノミー症候群が入院手術では一番怖いからと。
おそらく2〜3週間で退院と言われてたから、2週間くらいで退院してくるかな。
今は私の事業がどん底なので、生活全てを夫に頼ってまかせっぱなし。四六時中仕事のことばかり考えてるから、自分のことは二の次。
さらに手を悪くしているので、包丁を持つ手に力が入れられない。
夜11時前に帰ったらご飯ができていて、洗濯が畳まれてて、お風呂が沸いてる。
なんとありがたいこと。
昔から、一緒になった時から、いつも私がやりたいことに対してストップをかけることはなかった。だからやりたいこと全力でてきている。
リッツさんに採用されたこととかとっても喜んでくれて、知り合いがうちのチョコ食べるためにわざわざリッツに泊まったって、すごいなーとか、そんな話ができるようになった。
夫も自慢に思ってくれてるのが、嬉しい。
これからも頼ってばっかりと思うけど、まだまだお互い好きにやろうじゃないの。
料理は作れないけど、美味しいコーヒー入れるんで。
得居 裕江
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