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ちょっぴりハッピーな出来事やバルーンアートのお仕事、たくらみ屋のこと、MGのことなど、日々を綴った社長ブログ

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笑顔を振りまくスマイリーは、こうして生まれました

      2017/10/06

2001年の新聞記事がここにあります。

おなじみにっこにこのスマイリー。
そのスマイリーをデザインしたハーベイ・ボールさんの記事です。

バルーンアートとPOP広告でファン作り大作戦~スーパー風船先生・バルーンポップ得居~

ちょっと長いですが、せっかくなので転記します。

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「スマイリー」をデザインした米国の広告マン

ハーベイ・ボールさん (4月12日死去、79歳)

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黒い実線で縁取った黄色い円に、ちょん、ちょん、と両目をあしらい、湾曲線で大きな笑みを描いた「スマイリー・フェース」。

1970年代を象徴するこのシンプルなデザイン一つで、名を残すことになった。

芸術学校を卒業し、生まれ故郷の米北東部マサチューセッツ州ウースターで59年、広告会社を一人で立ち上げた。

スマイリー誕生は63年12月。

地元の保険会社から「従業員を励ますようなシンボルを考えてほしい」と要請を受け、わずか十分でデザインを仕上げた。受け取ったギャラもわずか45ドルだったという。

できあがったスマイリーのバッジは、従業員ばかりか顧客にも好評で、やがて、町の至る所で、太陽がにっこりほほ笑んでいるようなマークが見られるようになった。

60年代末には、車のバンパー用のステッカーやTシャツも登場。70年代には、全米の人気キャラクターとなり、瞬く間に世界に広まった。

巨大の富を築くチャンスをつかみながら、著作権を申請することはなかった。

「父は金にむとんちゃくだった。しかし、自分のデザインであるということには、大いにこだわった。根は芸術家だった」と、息子のチャールズさん(47)は言う。

ベトナム戦争、ウォーターゲート事件、エネルギー危機と、人心がすさぶ出来事が相次いだ70年代に、燦然と輝いたスマイリー。

それは、「悲観的にならざるを得ない状況で、人々が『我々はなお楽観的である』と意思表示をするためのシンボルだった」(ニューヨーク大学のエレン・ウィリス教授=ジャーナリズム論)。

流行のわけを、生前の作者はもっと簡潔に説明していた。「スマイリーは年齢、肌の色、政治、宗教を乗り越える。これほど単純な形で、肯定的なメッセージを運ぶ芸術作品がかつてあっただろうか」と。

米政府が発行する郵便切手の図柄に98年、「70年代のシンボル」として選ばれたスマイリーは、今なお、万人の心を温める笑顔を振りまいている。

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読売新聞 2001年5月13日(日曜日)
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バルーンアートとPOP広告でファン作り大作戦~スーパー風船先生・バルーンポップ得居~

バルーンでもスマイリーは大人気です。

先日、テレビでも各局のニュースで放送されましたが

陸前高田市気仙町の金剛寺で開催されたお花見で
当店から送ったスマイリーが、笑顔を作ってくれました。

思わず胸が熱くなったこちらのレポート、ぜひご覧ください。

東北関東大震災の復興応援サイト ねまる

4月17日 被災地支援レポート 陸前高田市気仙町

パンダやクマさんも一緒にスマイルフェイスです!

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島根県生まれ、福岡県北九州市在住。1992年からPOP広告の企画制作指導を行ううちに、アイキャッチ率の非常に高い風船に注目。2000年にバルーンアートをメイン事業としたバルーンポップを創業。好きな物:スタートレック、カプチーノ、城戸ワイン、文旦、感性刺激ツアー。夢は自社ビル持って、1Fカフェ食堂の看板おばちゃんになること ^^

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